つむぎプロジェクトの始まり
2011年3月14日につむぎプロジェクトの企画書を書いた。
長野で取り組んでいた「ホットエリア」をNTTの局舎が被害にあって通信が途絶えた被災地に臨時ローカルネットワークとして作る。ローカルネットワークの中で情報共有環境としてSNSを立てる。というものだった。
無線機器ベンダーに行き協力を依頼しにいき、快く協力してもらえることに。
次に自分が勤めるNTTPCの井上裕生社長に協力をお願いしに行った。
井上社長からは「これは国難だ。精一杯やってきなさい。全力で応援してやる。あまりこれをやるって決めないで現地でニーズがあるものからやって行った方がいい」と言ってもらった時、自分の会社の懐の深さに感謝した。
明治大学の阪井教授に大学生ボランティアの協力もお願いしに。
こちらも全面的な協力を約束してもらい、大船渡市にいる教え子の市議会議員がいるからということで早速紹介してもらえたのは4月5日。
それから二日後、まだ東北新幹線が再開していなかったので臨時便が羽田空港から花巻空港まで飛んでいて4月7日に大船渡に初めて入った。
最初町に入った時には、人が普通に歩いていてスーパーマーケットの前に高校生がしゃがんでしゃべっていたりして拍子抜けしたが、徐々に坂を下っていくとそこにはテレビで見ていた被災地の悲惨な光景が広がっていた。車も建物も家財もすべてがぐちゃぐちゃに混ざり合った瓦礫。漂う悪臭と粉塵。ただただ茫然と車を止め、降りて周りを眺めながら自然に目から涙があふれてきた。ただただ悔しかった。
「ここから、自分の脳味噌はここを復興させることに使う」と心に誓った。
阪井教授が紹介してくれた大船渡市の佐藤寧氏に電話。
「立根町というのを目指してきてくれたら道の所に立ってるから」と言われたでカーナビで立根町を探して向かった。よっぽど人がいない所なんだなと思って走っていくとショッピングセンターもあり人も沢山いてテレビで見ている被災地の風景とは全然違っていて誰が佐藤氏か分からないまま恐る恐る走っていくと、道端に恰幅のいい男性が走る車を覗き込みながら立っていた。それが佐藤氏だった。
その夜、佐藤氏がどこかからビールを1ケース調達してくれて飲みながら、震災直後からこれまでについて教えてもらい、疲れていたので22時頃には就寝。布団を引いてもらわないでホットカーペットの上に夏掛けを借りて寝ることにした。
疲れもありすぐに眠りについて間もない23時30分
突然床下から突き上げる強烈な縦揺れ。震度6弱の震災後最大級の大余震を経験したのは大船渡初日のことだった。