「就業支援」と「人財育成」

先週の大船渡でのある会議の中で「生活困窮者自立支援法のめざすもの」という厚生労働省の方の資料を共有していただいた。

 

資料の冒頭のグラフが衝撃的

生活保護者受給者数が第二次世界大戦直後の昭和26年に2,046,646人だったのをピークに減少を続け平成7年に882,229人まで減少。そこから上昇傾向になり平成26年3月時点で2,171,139人まで上昇している。制度基準の変更、社会的な価値観の変化、雇用形態の変化などの違いはあるかもしれないが多くの働き手を戦争で失い、日本中が焼野原になった大戦直後よりも生活保護者の数を上回っている現実。

 

支援策として

・自治体とハローワークが一体となった就労支援(平成17年度〜)

・自治体独自の多様な就労支援

・居住の確保

・貸付・家計相談

・子供・若者への学習支援、養育支援、居場所作り、就労支援

指摘されている課題

・一部の自治体のみで実施

・各分野をバラバラに実施

・早期に支援につなぐ仕組みが欠如

 

なるほど、でもこれって要は国の経営者として、「社会保障費の増大」は何としても抑えなければいけないから、「税金を納めないで費用だけがかかる存在」を何とかして少しでも埋めなければいけないという対処療法的な視点が根底にあるように感じる。確かにそういう部分もあるんだけどその視点だとこの問題は解決しないように思える。事実対策をうった後の方が受給者数は伸びている。

 

思い返すと、2011年4月に東日本大震災被災地を回った時、泥まみれになりながらがれきの撤去を必死になってやっている住民やボランティアの存在とともに日常的に目立ったのは「超満車のパチンコ屋の駐車場」だった。義援金が銀の玉に変わって消えていく。

 

陸前高田市の市議は「避難所から一日も早く仮設住宅へ移ることの必要性を唱える中で一日でも早く限られたお金で自分で選んで買い物をする生活に戻さなければ、この先この町は生活保護者だらけになってしまう」と危惧していた。

仮設住宅を周っているときに、「岩手県の最低給与水準と失業手当の水準は1万〜2万円位しか違わない。毎日せくせく働いてそれ位しか違わないんだったら働かないで遊んでる方がいいよね」と言われ愕然としたことがある。

 

大企業病」という言葉も実はこれに当てはまる。「うちの会社は絶対につぶれることはない」という先入観は仕事のアクティビティを奪う。新たな挑戦より保守的な選択をしがちになる。「会社は自分を守ってくれる」と思い込んでいる。

その結果大企業は正規社員を減らし非正規社員を増やす流れに繋がった。

 

一方で中小の事業者は日々の生活の中で資金繰りに追われ必死に生きている。アクティビティも寝食を忘れて行われている。それは「危機感」があるから。「危機感」がアクティビティへとつながっている。

 

昨年末に気仙の4つの高校で行った進路意向調査で本人と保護者の共通の就職先を選ぶポイントの1位は「やりたいことがやれる」だった。ワークスタイルが多様化した現在その意向がクラウドワーキングやフリーター、悪くすると引きこもりへとつながっている。やりたい仕事がないから地方から都市部へ若者は流出している。

 

「就業支援」の視点は福祉的な視座から来ているのでとにかくどこかの職場に押し込むこと。ところが当の本人たちは「やりたいことをやりたい」人達なので当然ミスマッチが起きる。大船渡市の有効求人倍率が2倍を超えたのは復興バブルで景気がいいからではない。水産加工などの求人に対して人、事務職を求める求職のミスマッチが起きているに過ぎない。

 

「危機感」と「自己実現

大事なのはみんなが危機感を共有して「やりたいことをやりたい」という人たちをどのようにして「人財」に育成するかという視座だと思う。それに合わせた業務開発、業務誘致、差別化戦略を練っていかなければいけないのではないだろうか。

疲弊している地方が若者をただただ都会に出して、結果ワーキングプアにしてしまい、「生活困窮者」の道へすすめ、自らの地域も疲弊し「消滅可能性地域」と名指される流れを止めるには地域が一体となってそれに取り組むべきと考える。

 

後藤新平先生の

よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ

の言葉が重く響く。